布施 峰(ふせ たかし)

PRIVATE in ARIZONA

1990年 4月10日新潟県妙高市生まれ。スキーデモンストレーターの父を持ち、父の勧めにより3歳でスキーを始める。しかし、スキーを履いて数分後にはスキーを放り出して雪遊びを始めてしまい、当初スキーに関心を示さなかった。「好きこそものの上手なれ」という父親の教育哲学のもとで時は流れ、その後、峰が自発的にスキーを始めるまでには約2年の時間を要した。

5歳になると子供の気まぐれからか突然スキーに興味を持ち、そこからは周囲を驚かせる勢いでその才能を開花させる。毎日のようにスキー場に足を運び、数日間でカービングターン(高度なターン技術)を習得。小学校に入学する頃になると見よう見真似で競技スキー(定められた旗門を通過して滑り、そのタイムを競うもの)を始め、地元の子供レースでは敵なしとなった。冬季オリンピックで3個の金メダルを獲得したイタリア人スキー選手アルベルト・トンバ氏も来日時に目にした峰の滑りに驚嘆し、当時5歳の峰に記念撮影を求めた。

転機は1998年 峰8歳の時、父に連れられて観戦した長野オリンピックのアルペンスキー会場で。世界最高峰の選手の滑りに熱い視線を送りながら「僕、スキー選手になる」と父親に宣言。父の指導のもとで本格的にアルペンスキーレーサーを目指すこととなる。現在の峰がその当時を振り返り「日本で最もスキーをしている時間が長かったのは僕」と自負するほどスキーに打ち込み、のめり込んだ。

小学校高学年になるとその類い稀なセンスと努力に裏付けされたスキーの技術は関係者に広く知れ渡り、小学五年時に国際チルドレンレースの日本代表(FISウィスラー日本代表)に選出される。※イラク戦争の影響で派遣中止。常に同年代のトップを走り続け、中学時は三年連続で全国中学生大会に出場、三年時に優勝した。高校入学後も一年時から新潟県代表として三年連続でインターハイに出場、時を同じくJr.ナショナルチームメンバーに選出され世界ジュニア選手権に出場する。海外遠征が続くハードスケジュールの中、高校最終学年でインターハイ優勝を果たし、中学・高校それぞれで日本一のタイトルを手にした。

高校卒業後は多くの大学からの誘いを断り、スキーに集中できる環境を求めて全日本ウインタースポーツ専門学校(JWSC)に進学。ナショナルチームメンバーとして多くの国際大会に出場し、名実ともに日本屈指のアルペンスキー選手へと成長を遂げた09-10年シーズンにはオリンピック強化指定選手に選出される。

その後、残念ながらナショナルチームからは外れてしまうが、2013年度の全日本選手権ではジャイアントスラローム競技において準優勝という成績を収め、勢いそのままに2013-2014シーズン初戦となる大陸別選手権FISファーイーストカップ第一戦のジャイアントスラロームで優勝。本人の手応えと同様に周囲にも復活を印象付けた。

2014年4月、FISポイント更新を狙った野沢温泉でのレース中に転倒し、左膝を高原骨折してしまう。術後半年間のリハビリを乗り越え一線に復帰。2015年ー2016年シーズンより、アルペン競技から技術選に戦いの場を移している。

 

身長178cm、体重80kg
妙高リージョンスキークラブ所属